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東京地方裁判所 平成元年(行ウ)140号 判決

甲・乙両事件原告(以下「原告」という。)

甲野乙夫

甲・乙両事件被告(以下「被告」という。)

警視総監安藤忠夫

右訴訟代理人弁護士

山下卯吉

髙橋勝徳

金井正人

右指定代理人

赤池洋一

松本雅道

関根榮治

川畑春男

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  甲事件について

被告が原告に対してなした昭和六三年五月三〇日付分限休職(六箇月間)処分(以下「本件休職処分」という。)を取消す。

二  乙事件について

被告が原告に対してなした平成元年一一月二九日付分限免職処分(以下「本件分限免職処分」という。)を取消す。

第二事案の概要

一  原告は、昭和五〇年二月一三日、警視庁巡査を拝命し、翌年二月一二日から警視庁野方警察署(以下「野方署」という。)勤務となり、警ら課警ら第二係員として、派出所勤務に就いていたところ、被告は、原告に対し、

1  原告が精神分裂病により、静養加療を要する状況にあったことから、地方公務員法二八条二項一号に規定する「心身の故障のため長期の休養を要する場合」に該当すると認めて、本件休職処分をなし、

2  平成元年一一月二四日、原告の過去の病歴及びこれまでの病状等を考慮した結果、原告が地方公務員法二八条一項二号に規定する「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合」に該当すると認め、同月二九日付で本件免職処分をなした。

そこで、原告は被告に対し、右各処分はいずれもその事由なくしてなされたものである等と主張して、その取消しを求めた。

二  争点は、本件休職処分及び本件免職処分の効力の有無である。

第三当裁判所の判断

一  本件休職処分に至る経緯について

証拠(〈証拠・人証略〉)によると、次の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和六〇年六月一四日ころから同年九月二〇日ころまでの間、元野方署員で他の警察署に昇任配置となった訴外友永清文宅に早朝から深夜にかけ、多数回にわたり無言電話をかける等をした。このため、野方警察署長(以下「野方署長」という。)は、同年九月二一日から原告を同署の庁舎警戒勤務に従事させていたが、その間、原告は、署員と挨拶を交わさない、立番警戒勤務時間であるにも拘らず、署内の洋式便所に長時間(長い時には三〇分以上)腰掛けていた、降雨雪時には、年次休暇をとった、署内の廊下で幹部に会うと、急に身体をかわして廊下の壁にへばりつくようにして、後ろ向きになって立去った、幹部が原告の過誤について注意をすると、白目をむいて幹部を睨みつけたり、「もう限界です。頭痛が激しくおかしくなりそうです。」などの言動をした、警視庁町田警察署(以下「町田署」という。)町田駅前派出所に、野方署内で印鑑を紛失したとして遺失届を提出した、庁舎警戒勤務を欠略し、講堂でストーブにあたっていたので幹部がこれを注意したところ、白目をむいて睨みつけるなどの態度をとった等の不自然な言動があったため、野方署長は、昭和六一年三月一日、原告に警視庁警務部健康管理本部(以下「健康管理本部」という。)主査訴外石川孔英(以下「石川主査」という。)のカウンセリングを受けさせたところ、心因性の兆候が見られるので、神経科医師の診察を受けさせることが望ましい旨の助言を受けた。

2  そこで、野方署警ら課課長代理割石利雄(以下「割石課長代理」という。)、同署の衛生管理者である警務課警務係巡査部長加藤菊夫(以下「加藤巡査部長」という。)及び警務課警務係巡査部長宮川國太の三名は、同日、原告の同意を得て、原告を東京警察病院(以下「警察病院」という。)に同道し、同院神経科医師加藤誠(以下「加藤医師」という。)の診察を受けさせたところ、「心因反応」と診断され、軽勤務及び週一回の通院と薬の服用などを指示された。しかし、原告は、加藤医師の右指示に従わず、通院及び薬の服用等をしていなかったことから、野方署副署長坂井博己らが、原告に対し、医師の指示に従って通院するよう説得したが、原告は、これを拒否した。そして、原告は、同月一三日、石川主査のカウンセリングを受けた際、警察病院の薬は精神安定剤と胃腸薬であった、自分は精神の異常もないので病院に行く必要はない等と述べて通院を拒否し、さらに、石川主査の助言により、原告の実兄甲野乙二(以下「実兄乙二」という。)及び実父甲野乙一(以下「実父乙一」という。)等が原告に説得を試みたが、説得させることができなかった。

3  このため、野方署長は、同年四月五日、原告に健康管理本部長医師後藤吉太郎の診察を受けさせたところ、「心因反応」により、休養、治療を必要とするので、加藤医師の診断、治療を継続して受ける必要がある旨診断・指示されたため、原告に対し、同月七日、警察病院において加藤医師の診察を受けるよう命じた。ところが、原告がこれに従わず受診しなかったため、野方署長は、同月九日、原告に対し、再度、警察病院において加藤医師の診察を受けるよう指示したところ、原告は了承したので、同日、加藤巡査部長及び野方署警務課警務係巡査部長玉川勝の両名が原告を車両で警察病院に同道し、加藤医師の診察を受けさせたところ、「心因反応」により、今後三箇月間の治療休養が必要である旨診断され、併せて、毎週一回の通院及び薬の服用などを指示された。

4  そこで、野方署長は、加藤医師の右診断結果に基づき、原告に対し、同年四月一〇日から同年五月一一日までの間、年次休暇を実施させた後、原告の希望により、同月一三日から病気休暇を実施させ、治療に専念させた。そして、同年七月九日、原告に加藤医師の診察を受けさせたところ、「心因反応」により、今後三箇月間の治療休養が必要である旨診断されたことから、引続き病気休暇を実施させた。

5  その後、原告は、同年九月一二日、加藤巡査部長に電話で、警察病院に五箇月通院しているが良くならない、町田市民病院に替わりたい等と述べてきたことから、同月一三日、加藤巡査部長が原告に付添って、(住所略)の町田市民病院に赴いたところ、同院神経科医師宮田洋三から、どこが悪いか診てくれと言われても、外科や内科と違うからわからない、病院を替えないで警察病院へ行きなさい、どうしても替えたければ、主治医からの紹介状がなければ診ることができないので主治医と良く相談しなさい等と指示されたほか、同月一六日には、(住所略)の代々木病院に赴き、同院の山本相談員にも相談したが、同相談員から警察病院へ行くように指導された。

6  ところが、原告は、同日午後三時二〇分ころ、(住所略)の自宅付近において、上半身裸で包丁と金槌を持っていたことから、通行人に一一〇番通報された。その際、原告は、目がうつろで、口を開け放し、何を問いかけても無言であったこと等から、町田署員は、原告が精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めて、原告を保護するとともに、精神衛生法二七条の規定に基づき、(住所略)の東京都立松沢病院精神神経科医師林一好の診察を受けさせた。その結果、林医師は、直接実父乙一に電話連絡し、入院の同意を得て、同日、原告を同院に入院させた。そして、原告は、翌一七日、同院精神神経科医師佐々木司(以下「佐々木医師」という。)の診察を受けたところ、「精神分裂病」のため約二週間の入院、加療を要する旨の診断を受けて入院していたが、同月二五日、実兄乙二が身元引受人となり、同院を退院した。

7  野方署長は、同年一〇月八日、町田署から、原告が女の子に卑わいな行為をするとの風評があり、付近住民がこれを不安がり、何とかして欲しいとの相談があった旨の連絡を受けたことから、実兄乙二の来署を求めたところ、同月一〇日、同人及び原告の実兄甲野乙三(以下「実兄乙三」という。)の両名が来署したので、原告の現在までの病状及び動向等を詳細に説明し、原告に辞職を促すよう依頼した。そして、翌一一日、原告を伴って野方署を訪れた実兄乙三らは、応対に当たった野方署長に対して、弟があんなに悪くなっているとは思わなかった、一時自宅(実兄乙二宅)で面倒を見ていた妻がノイローゼ気味になってしまった、昨日深夜まで私達兄二人で涙を流しながら説得したが、本人はどうしても辞職しないと言っている、両親や兄弟では面倒を見られないので、警察病院に入院を依頼したが、家庭の支援がないとだめだと断られ、松沢病院の佐々木医師宛ての紹介状を書いてもらった、松沢病院に行き入院をお願いしたがベッドが空いていないとの理由で断られた、何とか弟を入院させる病院を紹介して欲しい旨強く要請した。

8  そこで、野方署では、同日、実兄乙三らに対し、加藤医師を介して、(住所略)の医療法人碧水会長谷川病院(以下「長谷川病院」という。)精神科医師小野博行を紹介した。そして、実兄乙三は、同院に直接電話を入れ、同院に対し強く診察を依頼したところ、とりあえず来院するようにとの連絡があった。このため、実兄乙三らは野方署警ら課長岩根忠雄(以下「岩根課長」という。)及び割石課長代理とともに原告を同院に同道し、小野医師の診察を受けさせたところ、「精神分裂症の疑い」で長期間の入院加療が必要である旨の診察がなされ、同日、原告は同院に入院した。

そこで、野方署長は、翌一二日、職員の分限に関する条例(昭和二六年九月二〇日条例第八五号)三条二項及び警視庁警察職員分限取扱規定(昭和三二年九月一日訓令甲第四〇号)四条三項の規定に基づく医師として長谷川病院院長精神科医師長谷川常人(以下「長谷川医師」という。)、原告の主治医である同院精神科医師秋山剛(以下「秋山医師」という。)及び同中澤恒幸(以下「中澤医師」という。)を指定した。

9  そして、原告は、同年一一月二二日、長谷川医師から、「精神分裂病」により、向う六箇月間の休養加療を要する旨の診察を受けるとともに、加藤巡査部長は、秋山医師及び中澤医師から、原告の病状について、原告は自分が病気だという病識が全くない、入院中は病院で薬を飲ませているのでおとなしいが、退院すると今の状態では自分で飲まないであろうから何をするかわからないため危険である、今後相当期間の治療を要するなどの説明を受けた。

10  そこで、野方署長は、原告が、警視庁警察職員分限取扱規程四条三項三号等に定める病気休暇日数(昭和六一年五月一三日から同年一一月八日)を経過し、年次休暇も同月二九日で終了するが、なお引続き長期の休養を要すると診断されたことから、休職のうえ病気療養に専念させる必要があると認め、同月二五日、被告に対し、原告の休職を上申した。

右上申を受けた被告は、同月二八日、原告が地方公務員法二八条二項一号に規定する「心身の故障のため長期の休養を要する場合」に該当すると認め、同月三〇日から原告の分限休職(六箇月間)処分を決定し、同月三〇日、長谷川病院において、実兄乙三の立会いの下、右処分の辞令書及び処分説明書を岩根課長をして原告に示達し、交付した。

11  原告は、その後長谷川病院において、継続して入院治療を受けてきたが、昭和六二年五月二二日、中澤医師の所見によれば、院内の散歩は自由となり、医師との約束はだいたい守っているが、まだ病識はない、病状もたいして好転していないので退院させるわけにはいかないとのことであり、また、当日、長谷川医師から、「精神分裂病」により、昭和六二年六月一日からさらに六箇月間の休養加療を要する旨の診断を受けた。ところが、原告は、同年五月二三日、長谷川病院を抜け出し、同院南側に隣接する東大職員第二武蔵野寮の四階から五階に通じる階段の踊り場から鉄柵を乗り越えて飛び降り自殺を図り、(住所略)の杏林大学医学部附属病院に収容された後、同月二七日、(住所略)の医療法人永寿会三鷹中央病院(以下「三鷹中央病院」という。)に転院し、同院医師仁科秀雄の診察を受けたところ、「両足首骨折、第一二胸椎骨折、腰椎骨折」により、全治六箇月を要する旨の診断を受けた。

12  野方署長は、原告が前記昭和六一年一一月三〇日付分限休職(六箇月間)処分の所定日数を経過してもなお治癒せず、引続き長期の休養を要すると診断されたことから、休職を継続して病気療養に専念させる必要があると認め、昭和六二年五月二六日、被告に対し、原告の休職を上申した。

右上申を受けた被告は、同月二九日、原告が地方公務員法二八条二項一号に規定する「心身の故障のため長期の休養を要する場合」に該当すると認め、同月三〇日から原告の分限休職(六箇月間)処分を決定し、同日、三鷹中央病院において、実兄乙二の立会いの下、右処分の辞令書及び処分説明書を岩根課長をして原告に示達し、交付した。

13  原告は、その後、三鷹中央病院において、両足首骨折等の治療を受けるとともに、精神分裂病の治療については、長谷川病院から薬を持参してもらい投薬治療を続けた結果、両足首等の骨折については、同年一一月一六日、ほぼ治療を終了し同月二八日には退院できる状況となり、また、精神分裂病については、同月二〇日秋山医師から、「精神分裂病」により、同月三〇日から六箇月間の通院加療が必要である旨診断されるとともに、入院の必要はないが、警察官としての復職は当分の間無理である、通院は一箇月に二回とする、単身居住をしてはならない旨の所見があった。

14  野方署長は、原告が前記昭和六二年五月三〇日付分限休職(六箇月間)処分の指定日数を経過してもなお治癒せず、引続き長期の通院加療を要すると診断され、当分の間復職は無理とされたことから、休職を継続して病気療養に専念させる必要があると認め、同年一一月二四日、被告に対し、原告の休職を上申した。

なお、原告は、同月二九日、三鷹中央病院を退院し、同日から(住所略)の実父乙一方において、転地療養することとなった。

右上申を受けた被告は、同月二七日、原告が地方公務員法二八条二項一号に規定する「心身の故障のため長期の休養を要する場合」に該当すると認め、同月三〇日から原告の分限休職(六箇月間)処分を決定し、同月三〇日、実父乙一方において、同人の立会いの下、右処分の辞令書及び処分説明書を岩根課長をして原告に示達し、交付した。

15  原告は、同月二九日から実父乙一方において転地療養していたが、老齢で病弱の両親等では看護が困難であり、しかも、原告が医師の指示による通院を一度したのみで、薬もあまり服用せず、退院時の症状とほとんど変化がないにも拘らず、自宅に帰宅してしまうなど、転地療養の効果も見られなかったことから、実兄乙二らの説得により、同年一二月二三日、長谷川病院に再入院した。そして、原告は、長谷川病院において、入院治療を受けてきたが、秋山医師の診察結果によれば、昭和六三年五月二四日現在、入院当時と変わらず病識はないが、入院中における新たな妄想はない、現時点では自傷他害のおそれは認められない、退院しても良いが、週一回の通院が望ましく、まだ当分の間は静養加療が必要である旨の所見とともに、「精神分裂病」により、今後六箇月間の静養加療を要する旨の診断を受けた。

16  野方署長は、原告が前記昭和六二年一一月三〇日付分限休職(六箇月間)処分の所定日数を経過してもなお治癒せず、引き続き長期の静養加療を要すると診断されたことから、休職を継続して病気療養に専念させる必要があると認め、昭和六三年五月二五日、被告に対し、原告の休職を上申した。

右上申を受けた被告は、同月二七日、原告が地方公務員法二八条二項一号に規定する「心身の故障のため、長期の休養を要する場合」に該当すると認め、本件休職(六箇月間)処分を決定し、立会いを求めていた実兄乙二らの都合により、同年六月四日、原告が両足首の金属板摘出手術の準備のため、入院中の長谷川病院から通院していた三鷹中央病院において、実兄乙二の立会いの下、右処分の辞令書及び処分説明書を野方署警務課警務係長鈴木靖春(以下「鈴木警務係長」という。)をして原告に示達し、交付した。

二  本件免職処分に至る経緯について

証拠(〈証拠・人証略〉)によると、次の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和六三年六月一一日、三鷹中央病院に転院し、両足首の金属板摘出手術を受け、同年七月三日、同病院を退院する予定となったことから、鈴木警務係長及び加藤巡査部長は、実兄乙二とともに、同月一日、三鷹中央病院において、仁科医師と面接し、原告の病状及び入院中における動向等についての意見を聴取したところ、同医師から、外科的な治療は終わっており、後は自分で歩行訓練を続けることによって通常歩行ができるようになる、入院中夜中に起きて病院内を歩きまわったり、六人部屋でありながら自分のベッドでいかがわしい行為をするなどしたので、患者が不安がっていた、精神分裂病の薬については、長谷川病院から持参しているので飲むように指導している旨の所見が示された。

2  そこで、鈴木警務係長及び加藤巡査部長は、同日、実兄乙二とともに、原告を長谷川病院に同道し、原告が三鷹中央病院退院後の入院治療の必要性等についての意見を得るため、秋山医師の診断を受けさせたところ、同医師から、病気に対する病識がないことは変わらないが、現時点では善悪の判断はでき、自傷他害のおそれは認められない、入院中における新たな妄想もない、現時点では入院の必要はないが、当分の間は二週間に一回の通院加療が必要で、復職は無理である旨の所見があった。このことから、鈴木警務係長及び加藤巡査部長は、原告が三鷹中央病院を退院した後の療養先について、実兄乙二と協議し、当分の間は実父乙一方で転地療養しながら長谷川病院に通院し、状況をみて自宅療養に切り替えることとなり、実兄乙二もこれを了承した。

3  野方署警務課課長代理後藤良平(以下「後藤警務課長代理」という。)及び加藤巡査部長の両名は、原告が同月三日、実兄らに付添われて三鷹中央病院を退院したが、同人らから何の連絡もなかったことから、同月五日、原告の退院後の指導及び家族連絡のため実父乙一方を訪問したところ、同人から、家庭の事情により、退院後の原告の療養先については実兄乙二に一任し、実兄乙二及び原告の意思により原告の自宅において療養することになった旨の回答があったことから、同日、原告宅を訪問し、原告に対して、療養先を明らかにし、近況報告することなどを指導したが、原告が近々野方署に行く旨申し立て、玄関のドアを閉めてしまい、それ以上の指導はできなかった。

4  後藤警務課長代理、鈴木警務係長及び加藤巡査部長の三名は、同月六日、原告が三鷹中央病院入院中の家政婦看護補助金の請求書類受領のため野方署に来署したので、応接室で面接したところ、原告は病気に対する認識がなく、通院も薬の服用もしていないことが判明したほか、後藤警務課長代理らの言質をとるなど真剣に話を聞こうとせず、高圧的言動をとったり、自分が不利になると高笑いをしたり、沈黙したり、依然として快方の兆しがみられなかった。また、後藤警務課長代理は、同月一三日、原告が右請求書類の提出のため野方署に来署したので、原告に近況報告するよう述べたところ、原告はこれを無視して退署した。このため、後藤警務課長代理は、同月二八日、原告に書簡で、同年八月一日野方署に来署するよう要請したが、原告が指定した日に来署しなかったので、同月三日、加藤巡査部長とともに原告宅を訪問したところ、不在で面接できなかった。しかし、原告宅のベランダには洗濯物が干してあり、自活している様子が確認できた。

5  後藤警務課長代理は、同月一一日、町田署から、原告が同署へ来署し、自衛隊で銃を撃ったことがあり懐しい、アフリカへ行って撃って来たい等と言って、銃砲の所持許可申請をしたい旨の申し出があったので、同署員らがこれを思い止まるよう説得したところ、原告が、どうしてだ、お前の名前は何というのだなどと大声で騒ぎ立てるなどした旨の連絡を受けた。

6  後藤警務課長代理は、同年九月八日、原告が健康保険証の検印のため野方署に来署したので、面接しようと声をかけたところ、原告はこれを無視して退署した。

7  その後、後藤警務課長代理は、同年一〇月一二日、実兄乙二の勤務する松下電池工業株式会社から、原告がここ一箇月の間に一〇数回会社に電話してきて、甲野乙二は女癖が悪い、以前にも悪いことをしているから会社を辞めさせろ、辞めさせなければ会社にライフル銃を持って行って殺してやる、ガソリンを持って行って火をつけて殺してやるなどと言ってきており、対応に苦慮している旨の連絡を受けた。このことから、後藤警務課長代理は、同日、実兄乙二の来署を求め、野方署において事情聴取したところ、同人は、原告から同年九月二一日及び同年一〇月一〇日から今日まで毎日、自宅には、お前に病院にぶちこまれて俺は一生駄目になった、お前の家族もどうなるか憶えておけ、子供は嫁に行けなくしてやる、家に火をつけるなどの電話や無言電話を何回もかけられている、会社にも、同年九月一九日から同年一〇月一一日まで、本社を含め一〇回以上にわたり、この野郎ぶっ殺すぞ、甲野は女癖が悪い、悪い奴だから会社中に言いふらせ、会社を辞めさせろ、辞めさせなければライフルをぶち込む、会社に火をつける等の電話をかけられている、また、実兄乙三の自宅及び勤務先にも同様の電話が続いている旨述べた。そこで、後藤警務課長代理は、同月一五日、実兄乙三及び乙二の来署を求め、野方署おいて事情聴取したところ、実兄乙三は、原告から同年九月一九日、勤務先や本店の頭取に、私の娘が不良少女だ、私が過去に無免許で捕まった、乙三は悪事をしている男だぞ、表彰なんかとんでもないぞ等の電話があり、それから、何度か自宅に深夜や早朝無言電話がかかってきた、そして、同月二六日勤務先に入った電話に私が出ると、お前ら兄弟二人して俺をキチガイ病院に入れやがって、ただではおかない、ライフル銃で殺してやるなどと一方的に言われた、それからというものは現在に至っても、深夜、早朝の無言電話が続いている旨述べた。このことから、後藤警務課長代理は、実兄乙三及び同乙二に対し、両親と相談のうえ、原告が早期に医師の診断を受け、療養に専念するよう同人の説得方を要請した。この要請に基づき、実父乙一、実兄乙三及び同乙二らは、同年一〇月一六日、原告宅に赴いたが、原告に居留守を使われて会うことができず、手紙を投函してきた。

8  その後、後藤警務課長代理は、同月二七日、原告の通院状況について、長谷川病院に電話照会したところ、原告が同年七月一日以降通院していない事実が判明した。

そこで、野方署長は、原告の前記昭和六三年五月三〇日付分限休職(六箇月間)処分が同年一一月二九日をもって満了することから、同年一〇月二九日、原告宅において、同署長名の受診下命書をもって、原告に対し、同年一一月九日午前一〇時一五分から同四五分までの間、長谷川病院において秋山医師の診察及び同日午後三時〇〇分から同三時三〇分までの間、健康管理本部において後藤医師の診察を受けるように鈴木係長をして示達し、同下命書を交付したところ、原告は、わかりました、私は直接病院へ行きます旨述べた。ところが、原告は、同年一〇月二九日、野方署に電話で、受診下命書は受け取った、署長にテープを用意しておくように、私は急いでいる旨述べた後、同年一一月九日にも電話で、野方署長に対し、腰痛のため休む旨述べ、右指定日に秋山医師らの診察を受けなかった。そこで、野方署長は、原告に対し、長谷川病院における秋山医師の受診下命書を同日(受診日、同月一一日午後二時三〇分から同三時〇〇分までの間)、同月一一日(受診日、同月一六日午前一〇時一五分から同一〇時四五分までの間)、同月一六日(受診日、同月一八日午後二時三〇分から同三時〇〇分までの間)の三回及び健康管理本部における後藤医師の受診下命書を同月九日(受診日、同月一四日午後三時〇〇分から同三時三〇分までの間)、同月一八日(受診日、同月二一日午前一〇時〇〇分から同一〇時三〇分までの間)の二回、いずれも原告宅の玄関郵便受に投函し、受診を下命したが、右指定日に秋山医師らの診察を受けなかった。

9  野方署長は、右のような原告の強い受診拒否の態度からして、原告の健康状態を秋山医師の診察によって確認することは困難であると判断した。そこで、鈴木警務係長及び加藤巡査部長は、同年一一月一八日、長谷川病院において、秋山医師に対し、右状況などを説明のうえ、鈴木警務係長作成の「甲野巡査の昭和六三年七月三日以降の動向等について」と題する報告書、同係長作成の「昭和六三年一〇月一五日付甲野乙二の供述調書」及び後藤警務課長代理作成の「昭和六三年一〇月一五日付甲野乙三の供述調書」を示し意見を求めたところ、同医師から、「病名精神分裂病、昭和六三年七月一日以降、患者は来院を拒否しており、直接診察する機会をえていないが、野方署員による患者の動向に関する報告書よりみて、患者は、なお、長期(六箇月間)の通院加療を要するものと明らかに判断される」との意見とともに、洗濯物が干してあることは自活できていると考えられるが、このような人は何をするかわからないので危険な面がある旨の説明を受けた。また、鈴木警務係長及び加藤巡査部長は、同年一一月二一日、健康管理本部において、後藤医師に対し、原告の現在までの状況などを説明したうえ、右資料を示し意見を求めたところ、同医師からも、引き続き休養のうえ治療を続けることが望ましい旨の意見があった。

10  野方署長は、原告が前記昭和六三年五月三〇日付分限休職(六箇月間)処分の所定日数を経過してもなお治癒せず、引き続き長期の通院加療を要する旨の秋山医師らの意見があったことから、休職を継続して病気療養に専念させる必要があると認め、同年一一月二五日、被告に対し、原告の休職を上申した。

右上申を受けた被告は、同月二九日、原告が地方公務員法二八条二項一号に規定する「心身の故障のため、長期の休養を要する場合」に該当すると認め、同月三〇日から原告の分限休職(六か月間)処分を決定し、同年一二月一日、野方署応接室において、鈴木警務係長及び宮川巡査部長の立会いの下、右処分の辞令書及び処分説明書を後藤警務課長代理をして原告に示達し、交付しようとしたところ、原告が受領を拒否したため、右辞令書等を原告の目前のテーブルに置き交付した。

なお、後藤警務課長代理は、原告が右辞令書等を同テーブルに放置したまま退署したので、同月二日及び同月一六日の二回、右辞令書等を原告宅に郵送したが、原告は、これらの受取りをいずれも拒否した。

11  そして、原告は、同月一日から出勤と称して、ほぼ毎週水曜日を除き、野方署に来署して、概ね午前八時三〇分ころから午後五時一五分ころまで(土曜日は午後〇時三〇分ころまで)の間、同署玄関ホールの待合用椅子に腰掛け、新聞、雑誌等を読んでいた。この間、原告は、後藤警務課長代理をはじめ幹部から、来署の都度、休職中であるので、秋山医師の診察を受け自宅で療養に専念すること等の指示を受けたが、警察や家族が勝手に精神分裂病にしていることだ、出勤簿に押印させろ等と述べ、右指示に全く従わなかった。

12  そこで、石川副主幹(昭和六三年二月二九日主査から副主幹に昇職、以下「石川副主幹」という。)は、野方署長の要請に基づき、原告のカウンセリングを実施するため、同年一二月二三日及び平成元年一月二四日、野方署で原告と面接したが、原告が、俺は病気にされたのだ、お前には関係ない等と一方的に述べ、同年三月一一日には、石川副主幹の勤務先である健康管理本部に電話し、応対に当たった同本部員に対し、何をやるかわからないから野方署へくるなと伝えろ等ど(ママ)と述べ、右カウンセリングの効果もなかった。原告は、その後も出勤と称して野方署に来署し、右同様のことを繰り返した。

13  そこで、野方署長は、原告の前記昭和六三年一一月三〇日付分限休職(六箇月間)処分が平成元年五月二九日の経過をもって満了することから、同月一一日(受診日、同月一二日午後二時三〇分から同三時〇〇分までの間)、同月一八日(受診日、同月一九日午後二時三〇分から同三時〇〇分までの間)及び同月二二日(受診日、同月二四日午前九時三〇分から同一一時〇〇分までの間)の三回にわたり、同署において、同署長名の受診下命書をもって、指定日時に長谷川病院において秋山医師の診察を受けるよう同署副署長有付住弘(以下「有村副署長」という。)をして、示達し、同下命書を交付しようとしたが、原告は、俺には関係ない、そんなものいらない、俺は病気にさせられたのだ等と述べ、右受診下命書の受領をいずれも拒否し、右指定日に秋山医師の診察を受けなかった。

この間、有村副署長らは、同月一五日及び同月一九日の両日、実父乙一の協力を要請するため、同人方に赴き、同人に対し、原告が医師の診察を受け療養に専念するよう説得方を依頼したが、その効果はなかった。

14  野方署長は、原告の強い受診拒否の態度からして、原告の健康状態を秋山医師の診察によって確認することは困難であると判断した。そこで、加藤巡査部長は、同月二四日、長谷川病院において、秋山医師に右状況などを説明のうえ、後藤警務課長代理作成の「甲野巡査の行動記録について」と題する報告書を示し、さらに、加藤巡査部長が録音した「平成元年五月二二日の受診下命時の会話の内容の録音テープ」を聴取させ、意見を求めたところ、同医師から、「精神分裂病」により、原告には明らかに強い拒絶症、誇大性、現実的な状況の把握の欠如、感情の平板化及び不自然な感情表出、病識の欠如などが認められ、なお長期(六箇月間)の通院加療を要する旨診断された。

15  野方署長は、原告が前記昭和六三年一一月三〇日付分限休職(六箇月間)処分の所定日数を経過してもなお治癒せず、引き続き長期の通院加療を要すると診断されたことから、休職を継続して病気療養に専念させる必要があると認め、平成元年五月二六日、被告に対し、原告の休職を上申した。

右上申を受けた被告は、同月二九日、原告が地方公務員法二八条二項一号に規定する「心身の故障のため、長期の休養を要する場合」に該当すると認め、同月三〇日から原告の分限休職(六箇月間)処分を決定し、同月三〇日、野方署応接室において、有村副署長外三名の立会いの下、右処分の辞令書及び処分説明書を野方署長をして原告に示達し、交付しようとしたところ、原告が警視庁警察官甲野乙夫は証拠を見ていないので知らない、平成元年五月三〇日午後二時一一分等と述べ、右辞令書等の受領を拒否した。そこで、野方署長は、同月三一日及び同年六月一四日、右辞令書等を原告宅に郵送したが、原告は、これらの受取りをいずれも拒否した。

16  その後、野方署長は、原告が野方署に来署せず、また、連絡もなく、さらに、秋山医師の診察を受けていないこと等から、同年七月七日から同月二三日までの間、加藤巡査部長らを原告宅に赴かせたが、原告が居留守を使ったり、面接を拒否したり、不在であったりして、面接することができなかった。このため、後藤警務課長代理は、同月二四日、原告に対し、書簡をもって、同月二六日から同月二七日に野方署へ来署するよう要請したが原告はいずれの日にも来署しなかった。また、有村副署長外三名は、同年九月一四日、実父乙一方に赴き、同人に対し、原告の現在までの状況を説明したうえ、両親兄弟が中心となって、原告を説得し、通院治療させること等を要請したところ、実父乙一は、原告に対し書簡をもって説得する旨約した。この際、有村副署長は、実父乙一から、原告が八月下旬に帰省した際、本年一一月下旬で身分が終わりになる、町田の住宅で生活を続ける、通院はしていない等と言っていたので、辞めたら独りで町田に住まないで実家近くに住むように土地を用意してやっても良い、病気は病院に行って診てもらうように等と説得したが、原告は、俺は独りで町田にいる等と言って、実父乙一の説得をも無視した旨の説明を受けた。そこで、野方署長は、同年九月二一日、原告が共済金等の事務手続のため野方署に来署したので、原告に対し、同署長名の受診下命書をもって、同月二二日午後二時三〇分から同三時三〇分までの間、長谷川病院において、秋山医師の診察を受けるように有村副署長をして示達し、交付しようとしたが、原告は、右下命書の受領を拒否した。この際、同副署長が、原告に対し、今回の分限休職処分の満了の日までに病気が治らない場合には分限免職処分となることを説明したうえ、早期に医師の診察を受けること、親兄弟の指導を素直に受けること、療養に専念し早期回復を図るよう努力すること等を指示したが、原告は、俺は病気でないから行かない、親兄弟は関係ない、俺がやる等と述べた。また、同副署長は、原告の右言動等に照らしてみて、現時点において、原告が三年の休職期間満了日までに病気が治癒し、復職することは不可能であると認められたことから、原告に対し、休職期間満了時における退職意思の確認を行なったところ、原告は、俺は辞めない、精神分裂病に勝手にされたのだ、辞めさせられてもとことん争ってやる等と述べたことから、原告には退職意思がないことを確認した。また、後藤警務課長代理は、同月二三日、実兄乙三、同乙二、同甲野乙太(以下「実兄乙太」という。)に対し、電話で、原告の現在までの状況等を説明したうえ、原告を説得し、通院治療させること等を要請したが、いずれも後難を恐れてか消極的であった。

17  そこで、野方署長は、原告に対し、長谷川病院における秋山医師の受診下命書をもって同月二七日(受診日、同月二九日午後二時三〇分から同三時三〇分までの間)、同年一〇月五日(受診日、同月六日午後二時三〇分から同三時三〇分までの間)、同月一三日(受診日、同月一八日午前九時三〇分から同一一時〇〇分までの間)及び同月一九日(受診日、同月二〇日午後二時三〇分から同三時三〇分までの間)の四回(三回原告宅の郵便受に投函、一回原告宅へ郵送)にわたり受診下命したが、原告は、右指定日に秋山医師の診察を受けなかった。このことから、野方署長は、原告の前記平成元年五月三〇日付分限休職(六箇月間)処分の満了とともに、同年一一月二九日をもって三年の休職期間が満了することになるが、原告の強い受診拒否の態度からして、原告の健康状態を秋山医師の診察によって確認することは困難であると判断した。そして、後藤警務課長代理及び加藤巡査部長は、同年一〇月二〇日、長谷川病院において、秋山医師に対し、右状況などを説明し、原告の現時点における病状及び警察官としての職務に対する適性等についての意見を求めたところ、同月二五日、同医師から、原告は、被害妄想、無為、自閉、病識の欠如、易怒性、誇大性、感情の平板化、状況にそぐわない感情の表出、治療や他者からの忠告に対する著しい拒絶的態度を一貫して示しており、精神分裂病である、また、昭和六三年七月一日以後も実兄の勤務先や家庭にいやがらせの電話や脅迫電話をする、上司の訪問に居留守をつかう、銃砲を所持しようとする、ブツブツ独語をしている、上司との話合いを拒否あるいは極めて居丈高、攻撃的態度を示すなど著しく社会的に不適当、不穏当な行動をとり続けており、現在も症状の改善はみられない、さらに、明白に同病の症状を示しながら治療を拒否し、反社会的行動をとっており、現状において警察官の職務に対する適性を欠くと判断せざるを得ない旨の意見があった。

18  野方署長は、原告が前記平成元年五月三〇日付分限休職(六か月間)処分の所定日数が経過するとともに、三年の休職期間が満了する同年一一月二九日を待ってもなお治癒せず、復職したとしても心身の故障のため職務の遂行に支障があり、また、これに堪えないと認められたことから、三年の休職期間の満了をもって、原告の分限免職処分もやむを得ないものと判断し、同年一〇月二五日、被告に対し、労働基準法二〇条一項に基づく解雇予告を上申した。

右上申を受けた被告は、同日、原告が地方公務員法二八条一項二号に規定する「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合」に該当するものと認め、原告に対する解雇予告を決定した。そして、野方署長は、同月二七日、後藤警務課長代理及び加藤巡査部長とともに原告宅に赴いたところ、原告が在宅しているにも拘わらず、同署長の度重なる呼び掛けにも全く応答しなかったため、玄関ドア越しに、在宅している原告に対し、甲野さんと会うことができないので、この通知書をポストに入れておくのでよく見て下さいと告げ、右解雇予告の通知書を玄関郵便受に投函し、交付した。

19  また、野方署長は、同日、右解雇予告の通知書の交付に併せて、受診下命書をもって、同年一一月八日午前九時三〇分から同一一時〇〇分までの間、長谷川病院において、秋山医師の診察を受けるよう下命するとともに、実父乙一方に赴き、同人と面接して右解雇予告の通知書の写しを交付し、原告に対する通院治療の説得を要請したほか、同月七日、実兄乙三、同乙二及び同乙太に対しても、親書をもって、右同様の要請をした。しかし、原告は、右指定日に秋山医師の診察を受けなかった。

20  そこで、野方署長は、同月八日、原告に対し、再度、受診下命書を郵送し、同月一〇日午後二時三〇分から同三時三〇分までの間、長谷川病院において、秋山医師の診察を受けるよう下命したが、原告は、右指定日にも秋山医師の診察を受けなかった。このことから、野方署長は、原告の強い受診拒否の態度からして、原告の健康状態を秋山医師の診察によって確認することは困難であると判断した。そして、後藤警務課長代理及び加藤巡査部長は、同月一〇日、長谷川病院において、秋山医師に対し、右状況などを説明したうえ、原告の現時点における病状及び警察官としての職務に対する適性等についての意見を求めたところ、同月一五日、同医師から、原告は、被害妄想、無為、自閉、病識の欠如、易怒性、誇大性、感情の平板化、状況にそぐわない感情の表出、治療や他者からの忠告に対する著しい拒絶的態度を一貫して示しており、精神分裂病である、また、昭和六三年七月一日以後も実兄の勤務先や家庭にいやがらせの電話や脅迫電話をする、上司の訪問に居留守をつかう、銃砲を所持しようとする、ブツブツ独語をしている、上司との話合いを拒否あるいは極めて居丈高、攻撃的態度を示すなど著しく社会的に不適当、不穏当な行動をとり続けており、現在も症状の改善はみられない、さらに、明白に同病の症状を示しながら治療を拒否し、反社会的行動をとっており、現状において、警察官の職務に対する適性を欠くと判断せざるを得ない旨の意見があった。

21  そこで、野方署長は、原告が昭和六一年四月五日に診察を受けたことがある後藤医師に対し、原告の出向診察を要請した。この要請に基づき、後藤医師は、平成元年一一月二一日、石川副主幹とともに(住所略)国立大蔵病院前付近路上において、原告の診察を行うための面接を試みたが、原告は、話し合いを拒否したうえ、脈絡のないことを言いながら、攻撃的な態度を示したり、通行人に対し、自分があたかも被害者であるかの如く突然大声で訴える等明らかに状況にそぐわない言動があり、病識の欠如が認められたことから、右面接を打切り、原告に対する診察を断念した。

なお、後藤医師は、右面接後、原告が国立大蔵病院精神神経科に通院していることが判明したので、担当医師と面接したところ、同医師から、原告は昨年一一月一五日から通院しているが、診察の都度一方的言動が多く、本日の診察結果から見ても病状の好転は認められない旨の所見を得た。そこで、野方署長は、後藤医師に原告の病状及び警察官としての適性等について意見を求めたところ、平成元年一一月二一日、同医師から、原告は精神分裂病により療養中であるが、原告の初診時の状態、その後の経過、国立大蔵病院医師の所見及び原告との面接結果等からみて、原告の病状は全く好転しておらず、今後なお長期の療養を要し、警察官としての職務の遂行に支障があり、また、これに堪えないものと判断される旨の意見があった。

22  野方署長は、原告が前記平成元年五月三〇日付分限休職(六箇月間)処分の所定日数を経過し、三年の休職期間の満了を待っても、なお治癒せず、長期の療養を要するほか、警察官としての適性に欠け、職務遂行に支障があり、また、これに堪えない旨の秋山医師及び後藤医師の意見があったことから、同年一一月二四日、被告に対し、原告の分限免職処分を上申した。

右上申を受けた被告は、同日、原告の過去の病歴及び以上の経過に基づく病状等を考慮した結果、原告が地方公務員法二八条一項二号に規定する「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合」に該当すると認め、本件免職処分とすることを決定した。

そして、有村副署長は、同月二五日、原告宅前路上付近において、後藤警務課長代理外三名の立会いの下、右処分の辞令書及び処分説明書を原告に示達し、交付しようとしたところ、原告が受領を拒否したため、右辞令書等を原告宅の玄関郵便受に投函し、交付した。

三  本件休職処分の効力について

前記認定事実によると、原告は、野方署警ら課警ら第二係員として勤務していた昭和六〇年六月ころから異常行動を示すようになり、医師の診察によると、昭和六一年三月一日、同年四月九日、及び同年七月九日、いずれも「心因反応」と診断され、同年一〇月一一日には「精神分裂病の疑い」、同年一一月二二日には「精神分裂病」で六箇月間の休養加療を要する旨診断され、年次休暇及び病気休暇を全て消化したため、被告は原告に対し、同年一一月三〇日、地方公務員法二八条二項一号に該当すると認め、分限休職(六箇月間)処分(第一回目)に付した。しかし、原告の病状は、その後も依然として好転しなかったので、被告は原告に対し、昭和六二年五月三〇日、同様の理由で分限休職(六箇月間)処分(第二回目)に付した。しかし、原告の病状は依然として好転しなかったので、被告は原告に対し、同年一一月三〇日、分限休職(六箇月間)処分(第三回目)に付したが、原告の病状はその後も治癒せず、引き続き長期の静養加療を要する状況にあったので、被告は原告に対し、本件休職処分に付したというのである。

してみると、原告にはその病状からみて地方公務員法二八条二項一号に該当する事由が存したということができるから、本件休職処分は有効というべきである。

四  本件免職処分の効力について

前記認定事実によれば、原告は、本件休職処分後も病状が好転せず、医師の診察によれば、昭和六三年七月一日、同年一一月一八日及び同月二一日当時通院加療を要する状況にあったことから、休職を継続して病気療養に専念させる必要があると認め、被告は原告に対し、同月三〇日付をもって分限休職(六箇月間)処分(第五回目)に付した。しかし、原告の病状はその後も一向に好転せず、平成元年五月二四日当時、医師の診断によれば、原告には明らかに強い拒絶症、誇大性等が認められ、なお長期の通院加療を要する状況にあったので、休職を継続して病気療養に専念させる必要があると認め、被告は原告に対し、同月三〇日付をもって分限休職(六箇月間)処分(第六回目)に付した。しかし、原告の病状はその後も好転せず、同年一〇月二五日当時、医師の診断によっても原告の病状の改善はみられず、警察官としての職務の適性にも欠けるということであり、前回の分限休職処分の所定日数経過とともに三年の休職期間が満了し、これを待ってもなお治癒せず、復職しても心身の故障のための職務の遂行に支障があり、また、これに堪えないと認め、被告は原告に対し、同月二五日付をもって解雇予告を通告し、その後の同年一一月二一日当時も原告の病状は全く好転しておらず、今後もなお長期の療養を要する状況にあることから、被告は、原告には警察官としての職務の遂行に支障があり、これに堪えない状況にあったと判断して、原告に対し、地方公務員法二八条一項二号に規定する事由があると認めて本件免職処分をなしたというのである。

してみると、原告にはその病状等からして地方公務員法二八条一項二号に該当する事由が存したということができるから、本件免職処分は有効というべきである。

(裁判官 林豊)

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